匠の相駕籠

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怒りの使い方

実は、わたしは怒りっぽい性格で、ちょっと気に入らないことが重なると、すぐにムカーッとしてしまう。そして、それを相手にぶつけてしまう。だけど、目上の人には強く言えるわけではないので、キモは小さい。

 

最近「怒り」という感情の使い方について、よく考えている。

怒りは、どういうときに活躍するんだろうか。

 

例えば、いつも、いつも、怒っているタイプの人がいる。

感情を隠さず、言いたいことを言い、声を張り上げる!

しかし、そこで怒っていることに理由はなくて、ただ怒るによって、自分の言うことを聞いてくれる人がいるから、怒っているのだ。

これは明らかに悪いケースだ。

怒りを、ただ人をコントロールする道具としてだけ使っていて、それに自分自身も慣れてしまっている。そういう人には、怒りで操れる程度の人しか集まらない。そもそも恐怖政治というのも、うまくは機能しないのだ。

 

江戸時代後期の陽明学者、大塩平八郎が遺した「洗心洞箚記」に、怒りの扱い方について言及がある。わたしにはまだ理解の及ばない所だ。

怒りや怖れという感情は、普通の人はのがれられないものである。怒りはつよさに関係し、怖れは弱さに関係する。

 

自分の意向に逆らうようなことに遭遇すると、怒りの感情が爆発してまるで炎が燃えさかるようになる。燃えさかると、他人をそこなわなくとも、その前に自分を焼け焦がしている。

 

怒るその時に、あなたはどうして考えてみないのか。彼が正しいのであれば、私が怒ったとて何になろう。それでも彼がまちがいなのであれば、その間違いを怒れば、それでおしまいだ。相手のまちがいを怒って、それ以上怒らないのであれば、怒りの感情が自分にいつまでも残らない。

 

このことを「怒りを遷さず」(論語 雍也篇)という。

 

人々はこの方法で怒りの感情を治めたならば、きっと治るでしょう。

 

洗心洞箚記
著 吉田公平

※ 一部省略、一部意訳