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匠の相駕籠

メメントモリ公式ブログ

「貧困 子供のSOS」を読んだ

読売新聞社社会部が取りまとめ出版した「貧困 子供のSOS」を読んだ。

日本で 2012年に実施された基礎調査により、子どもの相対的貧困率が6人に1人の割合になっていることが明らかになった。

 

実際にかなりの割合の子どもが、貧困状態にあって、3食のご飯を食べることができない子供がいるというのは俄かには信じられない。

 

そういう状況にある子どもは、家庭自体が社会との接点を持っていないため、実際にどこにいるのか、そんな子どもが日本にいるのかが見えにくいのが特徴らしい。

 

例えば私が懇意にしている理容師は、自分の娘の友達が家に遊びに来た時、夕飯時になってもその友達が帰ろうとしない。理由を聞くと、家ではご飯が食べられないから、ここで食べさせてくださいと言ったそうだ。

今時そんな子供が?と思ったそうだが、その程度でしか日頃接点がないのではないかと思う。

 

私は、1985年生まれで今年32歳。私の父親は地方公務員で、生活に困ったという経験は幼少時代にない。むしろ金銭的には恵まれ過ぎていたぐらいだったと思う。

その当時でも、1日の食料摂取が学校給食だけという家庭はあったのだろうか...?貧乏で苦しいんでいた同級生というのは、私の周りにはほとんど記憶がない...。

 

私自身が、恵まれ過ぎた家庭環境で過ごしていたため、この本にあるような家庭事情の子どもの話を聞いても、あまりにもピンとこない...。

非常に同情するのだけど、どこか日本ではないどこかの国の出来事のように感じられてしまう。

 

 

ふと考えたが、これは他人事ではないなとも思った。

日々の生活に困窮するようになったきっかけは、その家庭の稼ぎ頭が病気や怪我により働けなくなり、収入が途絶えたなども理由の一つとしてある。

 

私は特に、今のところ自分の体一つで商売をしているので、病気や怪我により働けなくなると、あっという間に収入がゼロになる。

そうなった時、自分の妻や子どもたちに満足に食事をさせてあげることもできない。

 

そう想像すると、貧困の問題が自分のことのように考えられるようになる。

 

誰だって人生の先は読めない。どんな不運に巻き込まれるかわからない。

その時に困っている人は自業自得だ、と見捨てるような社会にはしたくないと思う。