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匠の相駕籠

ソフトウェア開発会社の日常とオピニオン - メメントモリ公式ブログ

子どもにイラつく不寛容な社会

息子を二人を連れて、バスに乗っていた。

それは地元の狭い区域を循環している、最大でも10人ほどしか乗れないミニバスだった。その時の乗客は、私と子ども二人、女性の乗客、そして年寄りの男性が一人いた。

 

二人の息子は、3歳(今年、幼稚園の年少)と、1歳半になる。

この年頃の子どもは、お喋りもせずに大人しく座っておくというのは難しく、バスの中で大きな声で会話をしていた。

公共の場で、あまりに大声を出すときは、迷惑になるのでたしなめているが、基本的には話をしているぐらいでは、あまり注意はしていない。

 

 

その日は気が付かないうちに、少し声のトーンが大きくなりすぎていたのだろう。前方に座っていた年寄りの男性が、見るに見かねたという感じで、かなり強い口調で注意してきた。

 

「バスの中で騒ぐんじゃない! 公共の場で静かにできんのか!」

 

私はすみませんと頭を下げた。

子どもたちはビックリして私を見つめていた。静かにしなさいと言われたんだよと、子どもに伝える。

しかしあまり強く子どもに言いきかせることはできない。

私たちは、子どもに何も伝えていないわけではないのだ。小さいうちからこの歳になるまで、何度も何度もやっていいことと、悪いことを、それこそ四六時中言い続けている。

それでも子どもは楽しくなるとどうしても声が大きくなるし、静かにさせるのは難しい。1歳半の次男は、そもそも静かにしなければならないということを理解できない。

 

 

声のトーンを落とすように気をつけたが、それでもすぐに子どもたちは話し始めてしまう。バスを降りる駅まで、のこり2、3亭前というところだったので、子どもが盛り上がりすぎないように、抑えるのが精一杯だった。

 

しかし、注意してきた初老の男性には、それは十分ではないと感じて、また我慢がならなかったのだろう。

今度は突然立ち上がり、バスが移動している最中なのに、激しい剣幕で怒鳴りながらこちらへ近づいてきた。

 

「何度言わせるんだ! バスの中で騒ぐんじゃない!

 子どもにちゃんと注意しろ!!」

 

この男性は、きちんとした身なりのスーツを着て、ハットを被っており、年頃70歳ぐらいには見えた。

怒鳴りながらこちらに歩いてくるので、さすがに私も頭に血が上った。

 

「わかりました!! すみません、すみません!」

 

「なんだその態度は! ぜんぜん分かっとらんじゃないか!!

 子供の躾もできんのか!

 このバカタレが!!」

 

激しい剣幕で収まる様子がない。バスは動いているのだ。

つい私も頭にきた。

 

「何だとコノヤローー!!」

 

私は口喧嘩がとても弱い...。こういうときは、もうただの負けん気だけだ。

私は1歳半の息子を抱きかかえたまま、席を立ち、初老の男性に立ち向かった。

 

お互いに大声を張り上げて言い争っていると、バスの運転手が停車して仲裁に入った。

 

大声を出していたが、私の気持ちは意外と冷めていた。

子どもたちが騒がしくしてしまっているのは分かっているのだ。もうすぐ降りるのだから、収まってもらいたいと思っていた。

 

私が席に座ると、今度はバスの運転手と、その年寄りの男性が口論をはじめた。

 

 

「まだ小さな子供じゃないですか。

 小学生や中学生が騒いでるわけじゃないんですよ。

 それをバカタレとか言うのは... あんまりですよ」

 

バスの男性の運転手は、40代に見えたが、たぶん同じ年頃の子どもを持たれてるんじゃないかなと感じた。私の擁護をしてくれているようだった。

年寄りの男性は言い返す。

 

「ワシは子どもにバカなど言っておらん!

 しつけのできん、あのバカ親を馬鹿と言っとるんだ!

 自分が五月蝿くしといて、食ってかかってきやがって!!」

 

私は息子を見つめた。

ビックリして怖がっている。

確かに注意を受けた原因はこちらにあるのだ、間違ったことを言われているわけではない。

しかし、子どもたちは親がバカだの言われている姿を見て、それをどう受け止めているんだろう...。

 

一応、場は収まり、バスは出発した。

私たちは、次のバス停で下車した。

 

 

 

この一連のできごとは、深く私の心に刺さっている。

静かにするべき場所、子どもが騒いではいけない場所というのは当然ある、公共交通機関、図書館、飲食店などはマナーとしてはそうだ。

 

しかし、子どもと外出してみるとわかるが、現代の子どもたちが過ごす多くの場所は、かなりの割合がそういうところなのだ。

移動するときには交通機関を使う。食事をするならば飲食店になる。公園以外で子どもたちと過ごせる公共施設というのは、そんなに多くない。雨の日には、外を出歩くこともできない。

 

そうすると、私たちは殆どの場所で子どもの口を塞いで過ごさなくてはならなくなる。あそこでも静かにしなさい、こちらでも静かにしなさい...。

しつこく言えば子どもは理解してくれるわけではない。また理解していても、そのとおりに行動できるわけでもない。何も考えずに注意すればするほど、行動がより悪化してしまうこともあるのだ。 

 

私は思ったが、3歳と1歳半の子どもに、それを求めるのは酷なのではないかと思う。

 

子どもの迷惑を考えれば、子どもは人の集まるところに連れて行ってはいけないことになる。

育児は、子どもだけをどうかすれば良いのではなく、子どもを育てる母親、父親を外して考えることはできない。多くの母親は、四六時中子どもたちと一緒に行動している。

 

親は、基本的には子どもを注意したり叱ることが多くなる。

あれをしてはいけない、これをしてはいけない、散らかしたら片付けなさい、ご飯を粗末にしてはいけない。

こうやって子どもを抑圧し続けるだけでは、それは良い影響とは言えないのではないか。

 

親は、子どもを好きで叱っているわけではない。また常に正しい行動ができるわけでもない。子どもと寝起きし、自分の時間を持つことができず、行き詰った思いを抱えて、頼る人もおらず、歯を食いしばって育児をしている人も多い。

それをただ突き放してしまうだけでいいのだろうか。

 

 

 

この話を話題にしたのは、2つの理由がある。 

 

一つには、怒鳴りつけてきた年寄りの男性には正当性はあった(言い方に多少問題はあったとしても)。そして誰しも、騒ぐ子どもを目にして、怒りを覚えた経験のある人は多いと思う。

私だって、小学生や中学生が、電車の吊革にぶら下がって騒いでいるような姿を見ると頭にくる。基準はそれぞれだが、誰にでも子どもや育児をしている親に、マナーを求める気持ちはある。

 

しかし幼児が騒いでいるということは、本当に社会として許されない行為だろうか?

子どもは成長するとともに、次第にマナーを身に着け、良いことと悪いことを区別し、行動できるようになっていく。それは時間がかかることなのだ。

子どもがちょっと騒いでいる。子どもを持つ家庭にとって、それは毎日日常的に起きている。それを毎回毎回、しつこく言い続けなければいけないことだろうか。

ここまでは言うけれど、ある程度は目をつむる。といった寛容は、非難されるべきことなんだろうか?

 

もう一つは、これは今回の話に限ったことではなく、じつはもっと広い範囲でも同じようなことは置きていると感じている。

私の妻から聞いた話では、妻も似たような状況で60代の女性から、叱られたことがある。場所は地域の図書館。子どもたちはそんなところでも遊び場を見つけて、遊び始めてしまう。

その時は、図書館を利用していたその60代ぐらいの女性から、静かにできないのなら、出ていきなさいと強い口調で言われた。

 

もちろん子どもを遊ばせる場所でもないし、騒いで良い場所ではない。

けれど、子どもを二人も連れた母親が、日中過ごせる場所というのは、そんなにないのだ。

朝から夕方まで、子どもたちを公園で遊ばせて、それを毎日、何年も続けられるわけがない。どうしても、ちょっとそういう場所を利用したときに、小さい子供が騒いでしまうというのは、...本当に許されないことなのだろうか。

私たちは躾のできない親ということになるのだろうか。

 

妻は、公共施設や、交通機関を使っていて、同様に騒がしくするなと注意を受けることは、それこそ数え切れないほどあった。言われていることは分かっているのだ、子どもにはちゃんとマナーを少しずつ教えている。

しかし365日、子どもが言うとおりに大人しくしているわけではない。

 

だからといって、騒いでいることを居直るわけにもいかない。お騒がせしてすみませんでしたと、周りに頭を下げる。

 

そう。母親は、何度も何度も、謝り続けながら子育てをしている。

 

ふと、街中で子連れの母親とすれ違うことがある。 

彼女たちが、どういった言葉を言っているだろうか聞いたことあるだろうか。

彼女たちはいつも「すみません」と口癖のように言っているのだ。子どもがご迷惑をかけてすみませんと、ずっといい続けながら子育てをしているのだと思う。

 

 

もっと大らかな気持ちで、子どもと親を見ることはできないだろうか。

子どものちょっとした行動にも、いちいち目くじらを立てる必要があるのだろうか。

 

マナーを守るべし。

そのマナーとは一つの解釈しかできないようなものだろうか。

正しいという基準が、一つだけになってしまっていないだろうか。

 

改めて私は、母親が周囲にごめんなさいと謝りながら育児をしなければいけない社会の形は、なにかおかしいのではないかと思う。

 

 

バスを降りてから何事もなかったかのようにしていた息子は、家に着くと突然こういった。

「あの(バスの中の)おじさん、すごかったね!」

私は息子に、こう諭した。

 

「お父さんは、あのおじさんに強く言い返してたけど、

 あのおじさんは間違ったことを言っているわけじゃないんだよ。

 バスの中で、大声で騒いだら人の迷惑になるからね。

 

 でも喋らないというのは難しいからね。

 そして次男(1歳半)には、まだわからないからね。

 だから気にしなくていいんだよ、少しずつ出来るようになろうね」