匠の相駕籠

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『ど根性ガエルの娘』の本質は何か

 『ど根性ガエルの娘』というマンガを読んだ感想として、人の狂気を描いたマンガ という記事を書いたのだが、これだけではどうも消化しきれている気がしなくて、このマンガは何なんだろうとずっと考えてた。

『ど根性ガエルの娘』は是非、手にとっていただきたいと思う。

 

3巻まで読んでみた私の考えとしては、

これは作家「大月悠祐子」さんが

現在進行系で「親からの自立」していく姿を

映し出しているマンガではないだろうかと思った。

 

3巻を通して、

時系列はグチャグチャ。

悲惨な思い出をただ列挙しているだけの作品

という見方もあるかもしれない。

 

しかしそんな浅い解釈では、

この作品が理解できない。

 

大月悠祐子さんは、

父と母から人格を否定されて育つ。

成人してからも、

『ど根性ガエルの娘』の連載をスタートしてからも、

一貫して「あんたは弱い、社会で生きていくことは出来ない!」と

親から抑圧され続けるエピソードが描かれている。

 

そして印象深いのは、

そんなクズみたいな父親から一貫して言われる

「すべてをマンガに書け!」

という言葉だ。

 

父親としてクズで、

クズみたいな方法かも知れないが、

これは大月悠祐子さんに対する、

親としての精一杯の叫び声で、

非常にわかりにくい一抹の愛情.. なのかもしれない。

 

3巻でも、なお現在進行系。

『ど根性ガエルの娘』は、いま作品の分岐点にある気がしている。

 

ただ悲惨なエピソードを列挙するだけの、

お涙頂戴ものがたりになるのか。

 

もしくは、何か違う特別なものを見せてくれるのか...。

 

成人した20代の頃の

大月悠祐子さんの狂気に満ちた無表情。

底知れない怖さを感じて、3巻を開く勇気がしばらく出なかった。

 

 

もう一つ感じていることがある。

『ど根性ガエルの娘』の1巻は売れなかったらしい。

連載打ち切りとなり、

いろいろあって最近3巻まで出版されたエピソードがある。

 

あまりに真実を書きすぎると、

重すぎる。

読者が引いてしまって、ついてこれない。

共感を引き出すためにも、少し話を変えましょう!

といった編集者。

1巻はそうして生まれたらしい。

 

その1巻がなぜ売れなかったかは、

よくはわからない。

やはり共感を得られなかったとか、

暗すぎて普通の人は読みたいと思わない。

そういうのもあったかもしれない。

売る側の問題もあっただろう。

 

でもこういう人の内面がむき出しになった話って、

みんな見たいと思うんじゃないだろうか。

綺麗事を並べているだけよりも、本質的な一面もある。

 

マイナスな面と、プラスな面は表裏一体だと思う。

その両輪が、人には備わっている。

偏りすぎるのは良くない。

 

そのバランスを取りたいと思っている人は、

結構多いんじゃないかと思うけど、どうなんだろうか。

 

『ど根性ガエルの娘』は、

その人の両輪のバランスを取る作品ではないだろうか。