匠の相駕籠

ソフトウェア開発者の日常 - メメントモリ公式ブログ『匠の相駕籠(たくみのあいかご)』

入院生活について。

もう先週のことになるけど、子どもが入院してしまった話を書こうと思う。

2歳の末の子が、体調の悪い日が続いていた。

その後、喘息と診断されて、緊急入院することになる。

一週間ほど入院したが、

いまは無事に退院して、元気に走り回っている。

 

喘息というのは、

空気の通り道となる気管支が炎症して、

呼吸が苦しくなるという病気。

炎症を引き起こす原因は様々で、

風邪をこじらせて発症することもあるそうだ。

 

入院の連絡を受けて、

仕事先からタクシーで急いで病院へ。

タクシーでの移動中、

落ち着かない気持ちでソワソワしていたが、

病院へ到着すると、すこし気持ちが落ち着いた。

 

喘息というのは、症状が重ければ命にも関わろうが、

病院で適切な医療をうけられれば、

深刻なことにはならないだろう。

現代の医療の進歩に、あらためて感謝した。

 

 

さて、症状が良くなるまで入院することになったのだが、

幼児の入院は、親がつきっきりで付き添い入院しなければならない。

当面、妻が付き添い入院となったが、

我が家には4歳の息子もいる。

その子はどうしたらいいのか?

 

結局、私の場合は、仕事を

一週間ほど休ませていただく他なかった。

 

いままで入院というものに縁がなかったが、

今回の件で、入院生活というのが

どれだけ周りの人に支えられることが前提となっているか

思い知ることになった。

 

まず生活に必要なものは、

すべて差し入れがなければ成り立たない。

病院食には、お箸がついてない。

コップもなければ、飲料水も自分で買ってくる必要がある。

部屋着、それらの洗濯などどうするか。

 

今回の私たちの場合、

子どもは点滴を受けていたので、

ベットから離れることができなかった。

付き添いをしている妻は、

最低限必要なものを買いに出かける事ができない。

 

これらのものはすべて差し入れがなければ成り立たない。

 

身寄りのない人、

頼れる人が近くにいない人にとって、

入院そのものが困難なことではないか。

 

 

さて、最終的には入院は1週間続くことになった。

週の中ほどで、妻と付き添いを交代した。

 

病院の朝は早い。

朝の7時には、みんな起きて朝食が始まる。

夜の消灯は午後9時。

 

日中は何もできることはない。

ただ身体が治癒することを待つ時間が続く。

点滴が取れてからは、

病院の中を気分転換に散歩できるようになったが、

それまではテレビを見たり、

絵本を読んだり、

折り紙をしたり。

 

一日が異様に長く感じる。

 

私は付き添いを交代して、すぐに飽きてしまった。

大人の私で耐えられないのだから、

子どもにとって入院というのは退屈で堪らないだろうと思う。

 

そんなときに感じたのが、

エンターテインメントの力だった。

うちの子どもは『きかんしゃトーマス』が大好き。

その日は、夕方から病室のテレビで放送されていた。

 

病気というのは気持ちをいくらか沈ませてしまう。

入院にも飽きてしまっている私たちにとって、

トーマスを観る時間が、どれだけ楽しかったことか。

 

エンターテインメントが持つ力というのを、

私は甘く見ていたと思った。

これを楽しみに生きている人。

また、それによって勇気づけられている人というのは

確かにいるのだろうなと考え改めた時間だった。

 

 

入院中の治療について思ったこと。

今回の治療は、投薬治療とその経過観察であった。

投薬治療は、適切な薬を適切なタイミングで与え続ければ、

病気の症状がよくなる。

 

私は仕事柄、スケールの問題についてよく考える。

ある特定に人にしか出来ないことは、

それをとても多くの人に施すのは難しい。

その人のキャパシティを超えることが出来ないからだ。

 

 

何かを、広く多くのひとに届けたいと思うならば、

ある程度、それを誰にでもできるようにしなければいけない。

 

投薬治療を見ていて思ったのは、

これは一定の専門知識を持つ医者であれば、

だいたい同じような方法を用いて、より多くの人を助けることができる。

 

これは私たちソフトウェア開発の世界で言うところの、

フレームワークのようなものなんだなと思った。

 

そのように考えていたときに気がついたのだけど、

このような大衆治療は、

多くのひとを救うことができるが、

言い方が悪いが、痒いところには手が届かない。

 

病院で治療を受けて感じたことがある人もいるかもしれないが、

 

みんなと同じようなやり方をされても、

私の病気にはそれが効果がなかったということもある。

 

経験豊富な医者というのは限られているだろうし、

一人ひとりに細やかに注意深く診察していくのは、

コストが甚大だろうと思う。

 

けれど必要な人に向けては、

そういった大衆治療と違うやり方もあることが

示されていてもいいのではないかと少し思った。

 

 

長くなりましたが、

無事に元気になって家に帰ってきた我が子。

健康は失ってみないと、その大切さを噛みしめることが出来ない

不自由なものだなと改めて思いました。

支えてくださった皆さま。

 

本当にありがとうございました。