Twitter をどうやって使ったらいいのか、わかりません。
わかりませんと言いながら、アカウントを保有して、たまにこのブログの記事を流したりしています。なぜかというと、Twitter 経由の流入が結構あるからです。
以前にもブログに書いた気がしますが、このブログを読んで下さっている方は、ほとんどはわたしの友人か、直接の知り合いばかりです。あとは Twitter などからブログに入ってきて、読んでくださっている方が、少しばかりいらっしゃるという感じです。
そのため私は Twitter を宣伝程度にしか使えていませんでした。
私は理解できないものを使うのが苦手なので、理解したいと思うのですが、Twitter というのはなかなか手強いもので、ながいあいだ、ずっと謎を抱えているという感じです。
さて、私がいま理解できていることがいくつかあります。
私は「私的」なことば、というのがあまり好きではありません。「私的」というのは、家庭のこと、自分のことというよりも、「今日は寒いー」「今日は疲れたー」とか「あいつ、マジウゼー」という目的がないというか...愚痴と言うか...まぁそういうことばです。
自分でそういうのを発するのが好きでない。そういうのは、自分の友だちとお酒でも飲みながら、だれにも聞かれないところでやったらいいと思うのだけど、ネットのブログや Twitter は不特定多数の誰かが見たり聞いたりするものなので、そこで愚痴るのは好きではない。
そういう言葉を見るのは、自分の友人だったらまだ全然ゆるせるけど、顔も知らないような赤の他人の、そういうことばは好んで見たいとは思わないでしょう。
Twitter の使い方の裾野はひろくて、「私的」なことばでも「公的」なことばでも許されてしまうというのが、まぁ良いところでもあり、みんなが使っている理由でもあり、また難しいところでもあると思います。
結局、わたしが Twitter を使えないのは、「私的」なことばをオープンな場で言わないと決めているので、言えることがないんだろうなと思うのです。
例えば、わたしはブログを続けていますが、ブログでもたまに、しょーもないことを書いてしまったりします。むかし書いたことを思い出すと「1人でカフェで仕事をしている、つらい。」とか、「はやく一緒に仕事をする仲間がほしい」とか、そのときの心の弱り具合で、私的なことを書いてしまうものです。
Twitter は、ブログよりもさらに文章を書く垣根を低くしたものでしょう。
ブログですら、わりと「私」と「公」をふらふらしているのに、140文字という制限の中で、何を書いたらいいのかわかりません。
これは自分のブログを読んでいて思ったことなのですが、ブログって長く書けるため、何を言いたいのか要点が定まらなくなりがちです。そのため、やっぱり読むの大変だなと思うことがあります。
一方 Twitter は140文字に制限された、いろいろな人のつぶやきをザーッと流し見することが出来る。
ネットによる情報発信が一般化して、人々が目にする情報の数が飛躍的に増えてしまっているため、人はあまりじっくり文章を読んでなど、いられないのだろうとも思います。
Twitter の良い面とは、140文字という制約がひとつあるのだと思います。
つまり、情報を要約せざるを得ない。
人々に伝えたい言葉を、非常にコンパクトにまとめて、人の前に情報を差し込むために、140文字に思いを込める。そういう使い方であれば、なんか私にも使えるかもなという気がしてきました。