匠の相駕籠

ソフトウェア開発者の日常 - メメントモリ公式ブログ『匠の相駕籠(たくみのあいかご)』

学びつづけるひと

非常に尊敬できる人を持つことができたなら、それはとても運がよくて、また幸せなことだと思う。身近な人であってもよいし、まだ会ったことのない誰かでもよいし、すでにこの世にいない人でもいいと思う。

 

わたしが尊敬する人をひとりひとり挙げていくとキリがないのだけど、今日はわたしの英語の先生である Vic 先生について話そうと思う。

 

 

Vic 先生の生徒となって、かれこれ2年以上は経つ。わたしはお世辞にもできの良い生徒ではなく、普通なら2年もやっていると、ある一定のレベルまで到達しそうなものだけど、まだなかなかスラスラと会話することができない。

 

まだ学び始めた頃、まったく英語が喋れずに恥ずかしい思いをして、また恥ずかしい思いを隠そうとして、話すことに消極的になっていたときがあった。Vic 先生はこういった。

 

 

「あなたはまだベイビーだ。赤ちゃんは、なぜ言葉を話せるようになると思う?親のことばをたくさん聞いて、耳で覚えたものから口にだすのだ。それは最初はことばじゃないかもしれない、意味がわからないかもしれない。でも親がくりかえし話しかけて、教えることで、ちゃんと喋れるようになるんだよ。

 

大丈夫だから、たくさん聞いて、たくさん喋ってください。同じ失敗をしても、わたしが何度でも教えてあげます。」

 

 

毎週1時間のレッスンは、それだけでは英語の能力を伸ばすには不足している。やはり基本的には自習が必須で、それを補うものとして英会話があると考えたほうがよい。しかし、なかなか自習を継続するというのは、難しいことだ。

 

仕事などが忙しくて、ついつい英語の勉強を後回しにしてしまう。仕事で使う知識の勉強に忙しくて、英語が手につかないときもある。疲れていたりして、ただ何も気力がわかないときだってある。

 

自習ができていないときのレッスンは、やはり内容が悪い。頭がついていかないし、一度教わったことなのに、思ったとおりにやれなかったり、忘れていたりする。

 

そんなことはこの二年間で何度も何度もあった。

Vic 先生は、それを一度も怒ったことがない。

 

 

教える立場の人は、普通、やる気の感じられない生徒に対して、怒りを覚えるものだと思う。そんなにやる気がないなら、やめてしまったら?わたしが教える必要ないよね?など。

 

わたしは本当に一度も怒られたことがない。

 

ただわたしは、こんなに良く教えてくれるのに、うまく結果が出ない自分が恥ずかしく思ったり、なんで勉強をさぼってしまったのかと恥ずかしい思いになる。

 

反省して、自分から率先して、また勉強をやろうという気持ちが持ち上がってくる。

 

 

Vic 先生は、わたしが勉強しようと思う気持ちを引き出しているのだから、本当にそれは誰にでもできることではない。

 

 

Vic 先生は、もう50歳に近づこうとしている人なのに、いまだに新しいことを勉強し続けているようだ。英語のレッスン中に、自然に先生といろいろな話題に及ぶ。科学的なことや、歴史的なことや、国や地理に関することなど。本当にものしりだなと思って、ああ、自分ってこんなに何も知らないんだなと、よく思う。

 

いろいろなことに、興味を持って学びつづけるひとは、非常に尊敬する。歳を経ても、停滞するどころか、学びを重ねつづける人というのは、憧れである。