匠の相駕籠

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細川晋輔禅師『人生に信念はいらない』を読みました

 細川晋輔禅師の著書『人生に信念はいらない』を読みました。

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 細川禅師は、日本の禅の三大宗派のひとつ、臨済宗(りんざいしゅう)のお坊さんです。細川禅師のことを知ったのは、NHK の大河ドラマ『おんな城主 直虎』がきっかけで、このドラマの禅宗指導(役者に正しい禅の知識を指導したり、間違った演出にならないように監修)をされていました。

 

 細川禅師は『野沢龍雲寺ブログ』というブログをされているのですが、これもたまに更新されていて、内容が面白く、わたしは購読しています。

 

 

 さて、『人生に信念はいらない』は日本の禅、主に臨済宗について、どのように修行が行われるのかや、細川禅師の修行時代の話がくりひろげられます。

 

 わたし、個人的になんかつらいなと思うときに、その時の自分を救ってくれるような言葉に出会うことが多いのですが、その言葉は、かなり多くが仏教のことばだったり、漢籍だったりします。無学ですけど、仏教や禅の世界に、なんとなくあこがれを持ってきました。つらいことや悩みに対して、この世界には答えがあるんだろうか?

 

 個人的に、たぶん波長が合うところがあるんだと思います。

 

 

 もうひとつわたしの幼い頃の体験なのですが、わたしの父方のおばあちゃんが、とても熱心な仏教徒でした。おばあちゃんのうちに行くと、かならずおばあちゃんは、一日に一度は長いお経を、そらで読み上げていました。

 

 一緒に散歩に行くと、その散歩コースにはかならずお地蔵様があって、そこでもかならず線香とお経をあげていました。

 

 おばあちゃんは、わたしが小学生くらいのときに亡くなりました。斎場で、焼き上がったおばあちゃんのお骨と対面したのですが、とても焼かれたようには見えない、まっしろな喉仏の骨が残っていました。

 

 みんな口々に、おばあちゃんは信心深かったから、こんなに見事な喉仏が残ったんだねと言っていて、幼い心に、その光景や言葉が焼きついたものでした。

 

 

 そういった経験からも、わりと仏教が身近だったような気もします。

 

 

 細川禅師の『人生に信念はいらない』は、とても楽しく読めました。禅については、わたしに語れることは何もないのですが、いちばん印象に残ったのは、冒頭の僧堂への入門のシーンでしょうか。

 

 禅宗には、入門者の熱意を試す、非常に厳しい試練を超えたものだけしか入門を許さないというしきたりがあります。そして、僧堂への入門というのは、いま自分が手にしているものをすべて捨ててこないと行けないということです。

 

 仕事もそうですし、家族も捨てなければなりません。

 

 これが現代にも脈々と受け継がれているのだと知って、凄まじさを感じました。

 

 

 そもそもブッタも、仏門に入る時に、そのときの妻と子どもを捨てているのです。普通の人にとって、家族というのは一番捨てられない大切なものでしょう。そんな現代の価値観からは、まったく理解できないことですが、それが救いの道につながっているというのは、どういう意味があるのだろうと考えてしまいます。

 

 

 大事だと思っていた経験や価値、大切なものを手放してみて、はじめて見える世界がある。そのようにこの本には書いてありました。